大応援の大阪マラソン 2011

 いよいよ第1回の大阪マラソン。30,000人が走ります。
 応募者は170,000人だったのことで、なんとか追加で当選するこ とができました。くじ運の悪い私にとっては僥倖としか言いようが ありません。勇んで参加。
 前夜には旧知のマラソン仲間との愉しい食事会。
 10年ぶりに会う人もいるし、昨年のホノルル・マラソンを一緒に走 った人もいるし、今年1月の宮古島ウルトラ遠足(とおあし)でお世 話になった人もいます。

   *

 さて、当日は5時に起床。よく眠れました。
 おにぎりとお茶で朝食。心配していた雨は降っていません。この まま降らないでくれると好いのですが。
 ホテルをチェックアウトして、地下鉄を乗りついで森ノ宮へ。大阪 城公園はランナーとその応援者で人人人・・・。
 ネットで知ったmixiの結団式には100人あまりが参集。昨夜一緒 に食事をしたSさんとも会うことが出来ました。

 さて、今回のコースはワン・ウェイですから、荷物は全部運んで もらわなければなりません。
 公園内には大型トラックがずらっと並んでおり、指定されたトラッ クに荷物を預けます。意外とスムースな流れで、ここでの混雑は ありませんでした。
 また広場を囲むように扉なしの男性専用トイレが並んでいて、こ れは回転が速いので小に関しては待ち時間がありませんでした。 なかなかよい運営ではないですか。女性はどうだったのでしょう か。

  まだ時間があったのでエネルギー・ゼリーを飲みながら芝生で 入念にストレッチ。
 さてそろそろ行くかとFブロックのスタート地点に向かっていると、 あきりんさん!と声をかけられました。みると前夜祭で一緒だった Tさんでした。TさんはEブロックです。一緒にスタート地点に向かい ましたが、この大勢の人の中で出逢うなんてすごいことです。
 途中でKブロックを通りかかったので、二人で王冠かぶりもので 走る予定のHさんを探しましたがわかりませんでした。

  スタートの30分前から整列がはじまりました。これからスタートま での時間は何もすることがありません。幸い寒くはなく雨も降らな かったのでよかったのですが。
 ホノルル・マラソンをはじめとする外国のマラソン大会の整列は、 たいてい大雑把です。好きな所に並んで適当にスタートしてね、と いう感じです。きっと日本人は律儀なのでしょうね。

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  スターターは噂の橋本大阪府知事ということでしたが、9時になっ ても号砲も聞こえず、列も動きません。そのうちに歩きはじめてス タートライン通過は6分後でした。手を振っていた橋本知事はこの あと8.8kmのチャレンジ・ランを完走したそうです。

 ズタートラインを過ぎてからはゆっくりとですが走れる状態になり ました。
 風はなく、曇り空で日差しもなく、これで雨が降らずに済めば言う ことはないほどのマラソン日和です。ただ湿度は滅茶苦茶高い。 これぐらいは仕方ありません。

 森ノ宮から玉造筋を南下して鶴橋へ。そこからは千日前通りを 西進して難波をめざします。
 前夜祭の時にHさんに今日の目標タイムを尋ねられて、一応6時 間と答えたのですが、内心ではできれば5時間ぐらいでゴールした いなと思っていました。
 ただ最近は走り始めてみないと身体の調子がわからないので す。ですから、目標と言うよりも、願望。果たして願いはかなうの か?
 今年春の吉備路マラソンは4時間50分でしたが、あそこまで頑張 れる自信はもうないなあという情けない状態です。

 距離表示はうれしいことに1kmごとでした。私のようにだれやす い者には1kmごと表示は励まされてよろしいのです(笑)。
 で、最初の1kmが6分半。1km7分ペースがとりあえずの予定です からこれで充分です。
 大阪の市内を走るだけあって沿道の応援はすばらしいものでし た。42.195kmの全コース中で応援が途切れることはありませんで した。(河川敷を黙々と走る淀川マラソンとは雲泥の差やなあ。こ りゃ、どうせ走るなら大阪マラソンや。)

 2km過ぎのあたりで和太鼓の応援がありました。こういう鳴り物 はマラソンの応援には合います。
 このあとも沿道のあちらこちらで演奏や踊りの応援がありまし た。ただ残念だったのは、それらが応援の人並みの後でおこなわ れていたのでランナーからはよく見えないことでした。一段高い舞 台のようなものをつくると、ぐんと盛り上がりが違ってくるのでしょう が、なかなかそこまでの準備は大変なのでしょう。

   *

 5km通過が33分。
 お、最初の渋滞があった割には予定より2分も早い。しばらくはこ の感じで走ろうかな。
 御堂筋を北上して中之島をめざします。
 すると早くも中之島を回ってきた先頭グループとすれ違いまし た。キプサング兄弟に日本選手が3人と、5人ほどの集団でした。 こちらは7km半地点、あちらは15km地点。う〜む、やはり倍のスピ ードだな。
 ちなみにこのあとも何回かの折り返しがあり、すれ違いがあるの ですが、私が通りかかる頃には先頭グループはもうその先に行っ てしまっていて、二度と彼らを見ることはありませんでした。
 しばらくして女子の先頭(TVカメラ車がいたのでたぶんそうでしょ う)が来ました。嶋原選手が単独トップでした。女子の優勝はあの リディア・シモン選手だったと言うことですが、彼女には気がつきま せんでした。
 女子選手のかなり前の方に中年のナース姿の人もいました。や るなあ。
 しばらくしてピンク色ナース姿の子も来ました。あの人たちは仮 装しなければもっと早いのでしょうね。

 9km地点あたりになる淀屋橋で右折して中之島に沿って走りま す。このあたりは1ヶ月前の出張の際にジョギングをした所です。
 時折り、細かい雨が顔に当たります。天気予報は50%の確率の 雨でした。降らないと好いんだがなあ、という思いが通じたのか、 ゴールするまではなんとか本降りにならずに済みました。

   *

 10kmが1時間7分と、この5kmも34分で走れています。
  11kmあたりで折り返して戻ります。すれ違う最後尾のあたりでは はやくも歩いている人たちもいました。初フルマラソンの人もかな りいたようですが、あの人たちは関門に引っかかるだろうなあ。

  先日水彩スケッチをした中央公会堂前を通ります。
 ここは8.8kmのチャレンジ・ランのゴールにもなっていて、広場で は大阪市音楽団が本格的な演奏をしていました。

 御堂筋を南下している途中が15km。1時間42分で、ここまで全く のイーブンペースでこれています。なかなかによろしいです。
 2回目の難波の交差点にきて、今度は西へ折れて京セラドーム を目指します。
 このあたりで私を抜いていったハロウィンのとんがり帽子にマン トひらひらのランナーは、おや、Sさんではありませんか。
 急いで追いかけて追いつきしばらく併走。マントは暑くないの? と聞くと、風をとおさないので蒸れます、とのこと。でも愉しいです ねえ、と。
 Sさんは膝の故障で走れない時期がかなりありましたから、再び 走れる嬉しさは格別のものでしょう。
 しばらくしてから、Sさんには先に行ってもらいました。

 さて19km過ぎで折り返して、再び難波を目指します。

   *

 20kmで2時間17分。予定より3分早い。この調子で最後までいけ れば、なんとか5時間切りができるなあ。
 しかし、そろそろ疲れてきました。
 で、早く走ろうという呪縛から解放されている(はずの)仙人ラン ナーとしては、辛い思いをしてまで走るのはもはや邪道です。
 そこで20kmから30kmのあいだはつなぎの区間と位置づけて、歩 きさえしなければどんなにゆっくり走ってもよい、という自己ルール としました。まあ、勝手な言い分です。
 しかし、そう思うと気はとても楽になります。
 早く走ろうと欲を出すから辛いのであって、ゆっくりでよければ普 段の愉しいジョギングと変わりません。
 のんびり、のんびり。

 このあたりに給食エイドがあり、嬉しいことにバナナが置いてあ りました。
 国外の大会をはじめとして、フル・マラソンでは公式の給食エイド はないことが多いので(加茂郷フル・マラソンなどではボランティ ア・エイドがさまざまな食料を提供してくれますが)、これには少し 驚きました。(でも、あとでもっと驚くような給食エイドがあったので すが)
 バナナを食べて少し元気が戻ってきたなあ。
 3度目の難波の交差点に戻ってきて、あとはひたすら南港を目 指します。

 25kmが2時間45分。ペース・ダウンしたためにこの5kmには38分 がかかっています。
 この調子では5時間は切れません。う〜ん、煩悩は捨てたはず なのに、未練がまた頭をもたげてきます。どうしようかなあ。
  27kmあたりにあった給食エイド。なんとエネルギー・ゼリーをくれ ました。これは、これは。
 後半にカロリー補給をしようと思ってジョギングパンツの尻ポケッ トにエネルギー・ゼリーをひとつ入れて走っていたのですが、これ なら持って走らなくてもよかったんだ。

 先ほどバナナを食べたばかりだったのでもう少ししてからゼリー は飲もうと、そのまま手に持って走りました。
 すると、なんだか手がべとべとしてきます。おかしいなと思って見 ると、親切にもゼリーのキャップは外してくれていたのですね。持 っている手に力が入るたびにゼリーが少しあふれていたのでした (笑)。
 おやおや、ということでそこから少し歩きながらゼリーをいただき ました。
 すると、秋野暢子さんに抜かれました。沿道の声援に応えながら (招待選手はゼッケン番号の代わりに名前が書かれていて、胸だ けではなくて背にも付けています)、走っていましたが、なかなか の足どりです。
 ゼリーを飲み終えてからすぐに追いつくだろうと思って走りました が、結局追いつけませんでした。う〜む、情けない・・・。

   *

 30kmまでの5kmも38分がかかり、3時間32分。あかん、予定をつ いに2分オーバーしてしもうた。
  仮装ランナーもかなりいました。
 このあたりで一緒になったのは”太陽の塔”。大きなかぶり物で、 あれは大変そう。目立ちますから、しきりに、太陽の塔、頑張れ! の声がかかります。風がなかったからよかったものの、あれで向 かい風が強かったら進まないぞ。すごい走力です。
 その他には下駄で走っている人(ホノルル・マラソンでもいます ね)、

 32kmで驚きの給食エイドがありました。あ、またバナナがもらえ るなと立ち止まると、嬉しいことにどら焼きがあります。あんパンも あります。
 なんと、新香巻き、カッパ巻きもあります。タクアン、キュウリ、梅 干しとよりどりみどり。簡易テーブルが並んでいて、先に進むとカ ステラのようなものはあるわ、小さなアイス?があるわ、おにぎり もあったかな。
 このエイドはかなり嬉しいものでした。
 ただ、贅沢を言わせてもらえるのなら、この内容を一カ所にかた めるのではなくて、何カ所かに分散して欲しかったまあ。1度にあ んなにたくさんは食べられませんよ。

 35kmが4時間10分と予定より5分遅れ。ううむ、ずるずると後退し ているぞ。
 このあたりで後ろから追いついてきた女性に、「宮古島を走られ たのですね」と声をかけられました。しばらく話をしながら併走。彼 女は宮古島ワイドーを3回完走したそうで、そうなると私よりは圧倒 的に走力は上です。
 よく見ると彼女はメディカル・ランナーで、医師というゼッケンも付 けていました。今日はボランティア・ランをしているとのこと。道理 で余裕の走りをしているはずです。こちらはあまりにも余裕のない 走りをしているので、私も同業者ですとは恥ずかしくて言えません でした。
  最後のアップ・ダウンの南港大橋のあたりで、彼女は、頑張って 下さいと言って後ろへ下がっていきました。あくまでも余裕やな あ。
 橋を渡り終えると埋め立て地のような平坦地です。やれやれ、あ とはたどりつくだけだな。

  このあたりの応援で、なんとベリー・ダンスをしているグループが いました。人陰に隠れ気味だったのが残念。

   *

 ついに40km地点です。時間は4時間45分と、この5kmは35分でカ バーしましたが、5時間切りには残り15分しかありません。
 今の疲れようでは1km7分半のペースがやっと。すると、42km地 点で5時間となってしまう計算です。あ〜あ、0.195kmの余分が恨 めしいぞ。
 42kmを通過、時間は4時間59分50秒。あ〜あ、0.195kmの余分 が恨めしいぞ。

 ゴール! 時間は5時間1分18秒でした。あ〜あ、0.195kmがなけ ればなあ。(そんなに嘆くくらいなら、前半でもう2分ぶん頑張って おけよ、と言われそうですが・・・。)
 最終的に何人がスタートしたのかはわかりませんが、順位は 14600番余りでした。まあ、初フルの人も多いという噂でしたから、 ちょうどまん中ぐらいでこんなものでしょう。

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 水をもらい、完走記念メダルをもらい、スポーツ・タオル(華やか なデザインでこれは○)をもらい、あと、クッキーのようなものをもら ったのだっけかな。 
 そのまま3階の更衣場所へ。やれやれ疲れました。 
 乾いた衣服に着替え、蒸れた靴下と靴を履き替えて、やっと人 心地が付きました。 
 会場の一角で足湯のサービスがあったので、10分間ほど。気持 ちよかったのですが、もう少し熱めがよかったなあ(笑)。 

 受付会場にもなっていたインテックス大阪はすごい人。 
 ちょうど雨が激しく降りはじめて、遅い昼食をとる場所もなかなか に見つかりません。近くのトラムの駅ビルに韓国料理店を見つけ て、プルコギ・ビビンバとビールで、ふーっ。 
 第1回の大会でしたが、運営に大きな破綻はなく、コースも平坦。 なによりも沿道の応援は素晴らしいものでした。エイドでの食料提 供も大いに満足。 
 こりゃ、来年からは参加申し込み者が倍増するのではないかな あ。 




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