80km関門で涙 四万十川ウルトラ・2004

スタートまで

 昨年に続いて今年も四万十川ウルトラ・マラソンへやってきまし た。しかも、今年は100kmの部へのエントリーです。
 中村駅近くのホテルをとり、前夜は9時過ぎに就寝して、3時起 床。ぐっすりと眠れてまだ眠い。ただ二度寝をして寝過ごしては大 変ですから起き上がりました。ホテルで朝食をとったあとに真っ暗 な外へ出てみると、良い天気です。風もありません。これならウエ アは半袖でよさそうです。
 4時、続々と集まってきたランナーと一緒に、ホテルの近くからス タート地点行きのバスに乗り込みます。
 15分ぐらいでスタートの蕨谷小学校へ着くと、少し寒いぐらいで す。62km地点のカヌーの館へ着替えを運んでくれるというので、T シャツ、靴下、タオル、それに湿布を頼みました。他の人は何を頼 むのだろう?

 篝火が焚かれて、スタート地点横のやぐらでは和太鼓が打ち鳴 らされています。やはり60kmの部のスタートとは雰囲気が違いま す。5時半、まだ暗い中をスタートです。
 靴はこの日のために購入して慣らし履きをしてきたサロマです。 何となく心強い気がします。太ももを保護するというスパッツも購 入したのですが、こちらは太ももを締め付けてかえって血行を悪く するような気がして止めました。というわけで、普通のジョギング・ パンツです。

21kmまで

 さて、今日の目論見としては、60kmまでを昨年と同じ8時間ぐら いで行って、未知の距離となる残り40kmを6時間で何とか走り、計 14時間でゴール!というものです。
 そのためには、1キロ8分のペースがまずは目標となります。た だ、そんなに上手くいくかな? まだ真っ暗なので、道の端に止め た車のライトでコースを照らしてくれています。
 
 5km通過が38分といい調子です。このところ足を伸展したときに 痛む右膝の靱帯も、このくらいの速さで走っているぶんには痛み がありません。また、持病の右腰痛も昨日から嘘のように感じなく なっていました。良い調子だぞ。このあたりで少しずつ明るくなって きました。
 10kmを1時間15分で通過。
 このあたりで昨夜の前夜祭で1年ぶりに会ったSさんと一緒にな りました。彼女は昨年のこの大会でも見事に100kmを完走してい ますし、今年になってからも鯖街道ウルトラ・マラソン、村岡ダブル フル・マラソンを完走しているつわものです。そこからゆるい上りを しばらく併走しました。昨年はこのあたりで熊蜂が出て大変だった のだということでした。
 上りがきつくなってきました。ペースを落とすからといってSさん には先に行ってもらうことにしました。

 15kmあたりから上りが急にきつくなりました。ここから21kmの堂 が森峠頂上まで600mの峠越えです。これはきつい。車で言えば2 速に落とさなくては上れない感じの勾配です。
 いさぎよく歩くことにしました。「戦略的歩き」という便利な言葉が あります。これはまだ疲れてはいないのだけれども、後半に向け て足を温存するために歩く、といったような意味で使います。なん と老獪な選択でしょうか(笑)。
 20km通過が2時間43分と、この5kmを51分かけて歩きました。そ して、やっと21km地点で峠の頂上です。やれやれ。
 
42kmまで

 峠を越えると、今度はかなりの勾配の下りです。これはくせもの です。調子に乗ると後半の膝にくる事は目に見えています。しか し、ここを歩くわけにも行きません。あまり飛ばし過ぎないようにゆ っくりと走り降ります。
 35kmあたりでしょうか、やっと四万十川に出ました。

 36.5kmの第1関門を4時間45分で通過、関門閉鎖の40分前で す。しかし、先ほどの長い下りでつかった太ももが痛くなってきまし た。これはこたえるなあ。
 昨年60kmの部のスタートをした鯉のぼり公園が川の向かいにあ りました。60kmの部の方たちがスタートしてからもう40分以上経っ ていますから、その方たちと会うことは一度もありませんでした。 昨年、私が途中で抜いた100kmの部の方たちはみな早い方だった わけです。

 42km、フルマラソンの距離を5時間30分で通過。昨年の60km完 走のときとほぼ同じペースです。前半の600mの山越えを考えれ ば、よく頑張っているなあと自画自賛です。

カヌー館(62km)まで

 そしてしばらくして、今年もやってきました、半家沈下橋です。よく 晴れた青空の下に、きれいな川面がゆったりと広がっています。 ここは橋を往復します。大きなカメラをぶら下げた応援の人にお願 いして、持参していた使い捨てカメラのシャッターを押してもらいま した。「きれいに撮れましたよ」という励ましの言葉をもらってまた 走り出します。

 峠越えの途中で足を引きずっている方に追いつきました。ちょう どそのときにランナー収容のためのマイクロバスが走ってきまし た。収容バスの係員は辛そうにしている人を見かけると、未だ走り 続けるのかどうか意思を確認するようです。10mほど前で助手席 の係員がその方になにやら話しかけています。その方は胸のとこ ろで大きく手を交差させて×印を作りました。やがて収容バスに乗 り込んでいってしまいました。

 56.8kmの第2関門を7時間36分で通過、関門閉鎖の39分前で す。まだ、余裕があります。
 60km地点を通過。8時間6分と、昨年の60km完走とほぼ同じ所 要時間です。さあ、これからは全く未知の距離に踏み入れること になります。とにかく今日の第1目標はカヌー館へたどり着くこと、 あとはどこまで走れるかです。

 そのカヌー館へ着きました。62.2km関門の閉鎖までには37分が 残っていました。
 預けていた荷物を受け取り、シャツと靴下を着替えました。パン ツは更衣室が離れていたので面倒くさくなって着きかえるのを止 めました。実際のところは、一度座り込むと立ち上がるときの太も もの痛さがかなりのものだったこともあります。
 時間は8時間40分を回りました。この疲れようで残り38kmを5時 間20分で走りきることはかなり困難となってきました。
 よく考えてみれば、昨年の60km完走タイムはカヌー館での休憩 時間も含めての時間でした。やはり今年の方が遅れています。前 半の600mの峠越えが厳しいんだなあ。
 しかし、ここでリタイアしようという気持ちは全くありませんでし た。行けるところまでは行ってみようという気持ちでした。
 係りの人が、「暑くなってきています。十分に給水をしてからスタ ートしてください」と繰り返し放送しています。

71.5km関門まで

 次の関門までは9.5kmで、関門閉鎖までは1時間30分残っていま す。これは十分にいけます。楽勝でいける、はずだったのですが、 実際に走り始めてみると、あれれ、痛い足は全く動きません。これ はいかんぞ。
 カヌー館で恥も外聞も無く湿布を太ももに張っていました。多少 は違うような感じがしたのですが、やはり気休めにしかなりません でした。いまや、太ももは一歩ごとに悲鳴を上げるような痛さです。 筋肉の中に乳酸の結晶が沢山できていて、足を動かすたびにそ の結晶が筋肉に突き刺さるような錯覚になります。
 ウルトラで足が痛いのは当たり前だ、このぐらいのことでどうす る、と自分自身を鼓舞するように唱えますが、後半の山場のもう一 つの峠は、もうとても走れませんでした。足を引きずりながら上り ます。
 峠を降りると、もう一つの沈下橋、岩間沈下橋です。記念写真を 撮りたかったのですが、立ち止まっている時間的余裕がありませ んでした。

 ここで歩いては到底関門に間に合わなくなりました。せめて71. 5km関門は過ぎなくては、と足を引きずりながら走ります。
 橋を渡ったところに関門があり、係りの人が「関門閉鎖まであと6 分ですよ」と叫んでいる横を通り抜けました。危ねえ、もう少しで関 門に引っかかるところでした。71.5km関門を10時間4分で通過で す。

79.7km関門まで

 このあたりまで来ると、前後のランナーの姿はめっきり減ってし まいました。先刻の関門通過がぎりぎりでしたから、私の後ろを走 ってくる人はもう限られています(収容バスが何台か走って行きま した)。前にいる人は私より元気な人が多いわけですから、差はど んどん開くといった具合です。うん、寂しいなあ。
 次の関門まではわずかに8.2kmです。しかし、関門閉鎖までに残 された時間も1時間11分と、今の私にはなかなかに厳しいもので す。さあ、どこまで行けるか。

 関門まで残り2kmになったところで並走していた女性との会話 は、「あと6分になりましたね」「キロ3分は不可能ですね」「飛んで はいけませんしね」
 ついにその時がきました、関門まで残り1km余りの地点で関門 制限の時間になりました。周囲の人はもう皆歩いていましたが、最 後ぐらいは走り続けようと足を引きずりながら走りました。

 トンネル工事をしている手前の広場に設けられた79.7km関門が 見えてきました。
 時間は11時間25分、関門が閉鎖されてからすでに10分が経過し ています。結局この2kmはキロ8分でしか走れませんでした。最後 まで走っていったものだから、あわてて両手を大きく広げた係員に 「時間切れです。ここまでです」と制止されました。そんなに未だ走 りたそうにしていたのかな。
 いちおうここまで走ったということで時計をバックに写真を撮って もらいました。

 しばらくして、収容バスに乗り込みます。バスの中には、走ること が終わってしまったと言う虚脱したような、それでいて何となくほっ としたような雰囲気が漂っています。
 係りのおじさんが「リタイア・タオルです、こんなもん、欲しゅうな いやろけど」といって、四万十川マラソンと染め抜いたタオルを配 ってくれました。いいえ、記念です、ありがたくいただきました。確 かに去年は、60kmの部とはいえ完走したから、こんなタオルはも らわなかったな。

終わりに
 私の乗った収容バスが、80km関門を通過したランナーを次々に 抜いていきます。最初の上りで少し併走したSさんは84km地点を パートナーと一緒に快調なリズムで走っていました(Sさんは制限 時間の5分前に見事に完走されました。)。
 ゴール地点の中村高校に戻ってきました。まだ日が残っていま す。バスの隣の女性との会話、「こんな明るい時間に戻ってきたく なかったですね」「でも、私はあの関門を通過できても、もう走れま せんでしたわ」「そうですね」

 確かに今回の挑戦は無謀とも言えるものでした。100kmマラソン を走りきるためには、普段の月間練習量が200〜300kmは必要と 聞かされます。私はせいぜい100〜120kmしか走っていなかった のですから。今回、80kmでタイムアップになったということは、私の 力がそこまでだったということで、私なりに納得しています。ウルト ラ・マラソンはそんなに甘いものではありません。
 しかし、これで来年に向けての目標ができました。私のジョギン グ・ライフはこれからも続きます。



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