エッセイ

これが私のお気に入り    (CDを買う・連載5回目)

「Kiss Of Fire」(Harold Mabern with Eric Alexander) Venus (2002)

 以前に澤野工房のCDについて書いたが、日本で制作されてい るレーベルとしては、澤野工房と並んで最近はヴィーナス・レコー ドというレーベルもよく話題になる。このレーベルの路線は、老境 に入った名人、達人に日本人好みの曲を演奏させるというもの。 そしてカバー写真は過剰にならない程度のモノクロのヌード写真 である。メンバーとしては、エディ・ヒギンズやスティーブ・キュー ン、はてはファラオ・サンダースなどもいる。そしてアルバムのタイ トルは「ベッドで煙草を吸わないで」「魅惑のとりこ」「恋に恋して」 など。
 ハラルド・メイバーンのアルバム「キス・オブ・ファイア」も、思わず 食指の動く選曲をしている。たとえば、「リカード・ボサノバ」、「ブル ー・ボッサ」、「黒いオルフェ」。澤野工房よりも意図はさらになのだ が、確かに上手いところを突いてくる。
 ところが、このアルバムの演奏はどれもものすごいアップ・テン ポである。これでもかと言うぐらいに早い。情緒なんて全く消し飛 んでしまうぐらいに早い。タイトル曲の「キス・オブ・ファイア」も早 い。もちろんタンゴなのだが、情熱的とか、隠微とか、ムーディと か、そんな部分は全くない。イメージとしては、軍服を着たソ連兵 たちが赤の広場で一糸乱れずにタンゴを踊っている、といったも の。メイバーンも、プロデューサーが狙ったようなムード音楽なん か演らねえぜ、と考えたのか。

「Arcade」(John Abercrombie) ECM(1978)

 北欧系のレーベルで有名なのはなんといってもECMであろう。こ のレーベルのかってのキャッチフレーズは「沈黙の音を聞け」とい うものだった。ECMのCDと聞くだけで、全体の静かな感じが思い 浮かぶ。それほどにレーベルのイメージというものがある。ステー ブ・キューンなんて、ECMにいた頃の演奏と、現在のヴィーナス・レ ーベルでの演奏と、とても同じ人とは思えないほどである。
 たとえば、ジョン・アバークロンビー「Arcade」の中の1曲 「Neptune」では、ベースがアルコ(弦引き)で打ち寄せる波を思わ せる物憂い基調を奏で、そこにアバークロンビーのぴーんと張り 詰めた電気ギターが、静寂を表すための音のように響く。これは 現代音楽ですと言ってもおかしくない演奏で、ブルーノート系など が好きな人が、こんなものはジャズじゃないとでも言いだしかねな い代物である。
 ECMらしいCDとしては、アバークロンビーがアコースティック・ギ ターのラルフ・タウナーとのデュオをしている「サルガッソーの海」 (1976)。二人のギターが交差して、全ての風景が真っ白に塗りか えられていくような時間が流れる。私にとってはそれこそ宝物のア ルバムです。

「First Light」(Freddie Hubberd) CTI(1971)

 クリード・テイラーというプロデューサーが活躍したのは1970年代 であった。CTIというレーベルを作り、大流行となった。とにかく弦 楽器をかぶせる。メインがトランペットだろうがギターだろうがかま わない、とにかく弦楽器をかぶせる。
 フレディ・ハバードのこの「First Light」に収められた同名曲でも、 彼のトランペットはどこまでも明るく、ヒューバート・ローズのフルー トが重なり、ギターはジョージ・ベンソン、ベースはロン・カーターだ し、ドラムはジャック・ディジョネット、嘘でしょうと言うような豪華メ ンバーを、ドン・セベスキー指揮の弦楽器13人、木管楽器8人のオ ーケストラが取り囲む。これで売れないはずがない。耳に心地よ い洒落た音が軽やかに広がっていく。
 それにしても、このテイラーという人は自分の造りたいCDの好み がよほど偏っていたとみえる。言ってみれば、お菓子だろうが、果 物だろうが、何にでも蜂蜜をかけて食べるようなものである。案の 定、マンネリはすぐにやってきた。名義が誰か違うだけで、誰のCD をとっても同じなのである。
 しかし、今となっては懐かしい。CTIと聞くだけで、一世を風靡した グループ・サウンドを思い浮かべるようなものである。ああ、好い なあ、思ってしまうのだが、はたして現在新たに聞く人にとってもそ う思えるかどうか。これが案外新鮮な感じに聞こえていたりして。

「Deep Rumba」(Kip Hanrahan) American clave(1998)

 キップ・ハンラハンという人が1980年に作ったアメリカン・クレーブ というレーベルも気になるものだった。なにしろ胡散臭い。名盤の 誉れが高いピアソラの「タンゴ:ゼロ・アワー」を作ったかと思うと、 たとえば「千夜一夜 赤い夜&白い夜」なんてものも作っている。
 この「Deep Rumba」はキューバ系のミュージシャンを集めてのパ フォーマンス。並大抵ではない複雑なリズムが刻まれ、少し音程 が狂ったような唄声が見事にのる。理性ではない、もっと原初的 な、自分でも気づいていなかった身体の基本的なところが目覚め て反応する。それだけに中毒性がある。
 このハンラハンという人、目先がころころと変わりながらも、キュ ーバから南米あたりに固執していて、徹底的に自分の好きな音楽 をやっている。変な人物である。

 音樂プロデューサーという仕事がどんなものか、十分には理解 していないのだが、詩誌の編集とだぶらせてイメージしてみる。書 かせてみたい詩人に交渉して作品を集め、編集して1冊の詩誌に まとめていく。問題は、それが外部世界に向かって開かれている かどうか、外部世界に広がっていく力をもっているかどうか。

    お前の求めるものは みな この詩集に入っている
    お前が求めなければならないものも みな この詩集に入っ ている
    明日からは この詩集がお前のすべてになるのだから
                          (「契り」瀬崎 祐 より)

                                     詩誌 「coto」9号より





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