未刊詩編

越境

大きな窓の外では風が荒れている
行き交う人の柔らかさはちぎれそうに形を変えて
わたしの手折った花も失われそうだ

閉ざされた部屋のなかにはとまどいが充ちてくる
すると地球は静かにまわり 
窓のこちらにいたわたしは外の風景に溶けはじめる 
わたしとわたし以外のものを隔てていた膜が透けはじめて
身体のなかにあったものが形を失っていくのだ

遠くに見える丘のあたり 
梢の形が空につながるあたりには
いくつかの顔が浮かんでいる 
わたしの幼いころを知っている人たちのようだ 
片足を失った叔父はあれからどうしたのだったか 
あの人たちには怒りの言葉をむけたこともあった
あのとき約束の時間にあなたたちは遅れてきたでしょう 
わたしはあてどもなく心を彷徨わせて飢えていたのですよ
怒りのなかでは
どこまでがわたしであり 
どこからがあなたたちだったのか しかし
いまは微笑みの輪郭も曖昧となる刻限だ

微笑んでいるあの人たちの場所には泉があるのだろう 
冷たく湧いてくるものが身体を浸して 
かぎりなく薄いものにしていったのだろう 
わたしは夕闇のなかで花を手折っている 
暗くなった空からは飛び去るものの羽音も聞こえる 

わたしは冷たく湧いてくる泉に足をふみだす


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