エッセイ
早熟な友人の影響で、中学生の頃からジャズを聴いてきた。マ
イルス・ディビスやジョン・コルトレーンといった正統派を聴いてい
たはずなのに、いつの頃からか、ガトー・バルビエリも聴くようにな
ってしまった。
ガトーは、'60年代の終わりに出てきたあまり有名ではないアル
ゼンチン出身のサックス奏者である。南米音楽とジャズとの融合と
いうイメージで、小さなレコード会社から何枚かのレコードを出して
いた。
彼が有名になったのは、何と言ってもベルトリッチ監督、マーロ
ン・ブランド主演の映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」('72)の音楽を
担当してからだろう。私が大学を卒業した年の映画である。その成
功に気をよくしたのか、その後、彼はアメリカに渡り、A&Mなどのメ
ジャー会社と契約をして、矢継ぎ早に多数のレコードを出したが、
音楽的な評価は低いものであった。
しかも、ガトー・バルビエリが好きだということは、実は、どうやら
大変に恥ずかしいことらしいのだ。彼のジャズは二流であり、実は
自分もガトーのファンであるということは、恥ずかしくて他人には言
えない、と書いているジャズ評論家もいたぐらいだ。(と言うこと
は、裏を返せば、かなりの隠れファンがいると言うことにもなるの
だが)。
確かに彼のサックスの音色には品がない。しかし、私はガトーの
独特の音色が好きで、それからも聴き続けていた。彼の音色には
ザラザラとした場末のようなもの悲しさがあり、一度はまってしまう
と抜けられない魅力があった。いわゆる、これでもかというような
「泣き節」である。ジャケットにはいつも、ソフト帽をかぶっておそら
くは粋だと思っているであろう格好の本人が写っていた。
始めての就職先であった静岡では、街はずれの線路脇にジャズ
喫茶店があり、休日のお昼時にはよく出かけていた。少し寂れた
地方都市の晴れた休日の昼下がりをイメージして欲しい。そこで
ガトーをリクエストしては聞いていたのだ。
それからしばらくして、一線から退いたのか、ガトーの名前は全く
聞かなくなってしまっていた。
20年近くが経った3年前のある日、岡山表町の専門店で見慣れ
ないガトーのCDを見つけた。レジのお兄さんに、
「ひょっとすると、これはガトーの新作か?」と尋ねると、
「そうだ」と言う。
買おうか、という思いに、しかし、ひょっとして昔のガトーと違って
しまっていたら、という不安がよぎる。そんな私の迷いを察したの
か、そのときである、レジのお兄さんがぽつんと言ったのは、
「相変わらず泣けるよ」。
「(えっ!)・・・泣けるかい?」
「まあ、今どきの作品だから、打ち込みが入ってしまっているけど、
泣けるよ」。
早速そのCDを購入したことは言うまでもない。久しぶりに聴くガト
ーの音色は昔のままであった。
それからガトーは年に1枚の割合でCDを出している。
ジャケットには、白髪になりながらも相変わらずソフト帽をかぶっ
た彼自身の写真が載っている。いつまでもナルシストなのだな。相
変わらずの泣き節。あるCDの中の曲名は、生まれたばかりの孫
の名前だったりしていた。
変わらないガトーのざらついた音色を聴きながら、彼にとっては
幸せな一生なのだろうな、と思ったりする。悪評にも関わらず自分
の好きな吹き方で貫き通して、再びこうしてCDを出しているのだか
ら。東洋の片隅の島国で、二十年間以上にもわたって聴き続けて
いるファンがいることなど、思いだにしないのだろうけれども。
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