エッセイ
今夜、こんなJAZZを、明日まで (CDを買う・連載1回
目)
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「Quartet」(Herbie Hancock) 1982.SONY
中古店でやっと見つけて購入したこのCDは、1981年にハービ
ー・ハンコックが来日したときに、日本で制作されたもの。このCD
を探していたのは、ロン・カーターの「パレード」が演奏されている
と知ったからである。「パレード」のロン・カーターのオリジナルの演
奏は、裏路地に聞こえてくるお祭りのざわめきといった風情でお
気に入りだった(「Parade」1979,Milestone:こちらのCDのピアノは
なんとチック・コリアで、彼にしては非常に手堅い演奏をしてい
る)。
今回のこのCDのメンバーは、トランペットが当時は未だ無名だっ
たウイントン・マルサリスであることを除けば、あとはあのVSOPと
同じなのでノリの感じもよく似ている(VSOPの代表曲である「ハリ
ケーンの眼」もちゃんと入っている)。
そして、こちらの「パレード」は、始めからいきなりピアノ、トランペ
ット、ピアノとアドリブが延々と続く。時折り、はさまる短いフレーズ
で「パレード」のリズムが演奏され、次に主旋律が出るかなと思っ
てしまうのだが、その期待はいつまでも裏切られ、なおもアドリブ
が続く。最後近くになって、荒々しくのりきったアドリブの高潮の果
てに、ついに押さえきれずに、という感じで主旋律が始まり、あ
あ、やっとこの曲だと納得する。そして主旋律は1回だけ演奏さ
れ、そのまま終わってしまう。盛り上がったお祭りがあっけなく終
わってしまった淋しさ、あのクライマックスが聴けて良かったという
充実感、その両者がないまぜになって、私はパレイドが通り過ぎ
た街角に置き去りにされている。
「Dal Vivo!」(Giovanni Mirabassi) 2001.Sketch
あの澤野工房の制作。澤野工房と言えば、叙情的な演奏をする
無名のヨーロッパのピアノ・トリオを発掘してきては日本で好評を
博しているのだが、それだけに澤野工房と聞くだけで演奏のイメー
ジが浮かんでしまうようで、これまでは意地になって購入しなかっ
た。自分の部屋に澤野工房のCDが並んでいるのは、ちょっと恥ず
かしい。
しかし、このCDは試聴したあげくに購入してしまった。やはり澤
野工房らしく、旋律は徹底的に甘い。もうそれこそ蜜のように甘
い。甘いのだが、それだけに流されていない力強さのようなものを
演奏の底に感じさせる。隠し味に混ぜ合わされている幽かな毒の
苦みが舌先に感じられる。そのために、繰り返し聞いても飽きない
ものがある。
特筆すべきことは、1曲を除いた7曲がジョバンニ・ミラバッシの
オリジナル曲であること、それにクラブでのライブであること。ライ
ブでこれだけの演奏ができるのかと、これだけ美しい旋律を演奏
し続けて、しかも崩れずに屹立したまま押し通せるのかと思ってし
まう。そうですね、初期のキース・ジャレットに粉砂糖をまぶしたよ
うな、と言うのは、やはり誉めすぎか。
「Blue Eyed Soul」(Till Brenner) 2001,Verv
チェット・ベイカーの再来と言われるティル・ブレナーだが、前作
の「Chattin' With Chet」でも、その都会的で斬新な感覚は十分に
発揮されていた。しゃがれたミュート・トランペットにサンプリング・
ボイスをかぶせたり、ターン・テーブルによるサウンド・エフェクトを
流したり。
絵画では構図や色相などと共にマチエールもまた大きな意味を
持つことが多い。ブレナーの演奏は正統派のジャズなのだが、い
わばサウンドのマチエールとでも言うべき音の感触に非常なこだ
わりをみせる。瞬時に絵具を塗り重ね、次の瞬間には画布を引っ
掻いては新たな断面を見せて、といった感じで演奏が続いていく。
自分のトランペットに、再度トランペットをオーバー・ダビングしたり
もしているようだ。曲によってはピアノやボーカルも担当し、バイオ
リンも鳴らしている。ライブとは対極の、完全にプログラミングされ
たジャズだが、不思議と違和感はない。本質的な部分で即興性が
保たれているからであろう。
サウンドのマチエールにこだわったと言えばウエザー・リポートを
思い浮かべる。ただ、彼らはスポーツ・ドリンクを片手に他者に攻
撃的だったが、ティル・ブレナーはワインを片手に、どこまでも自己
陶酔的だ。おまけにジャケットの写真を見ると、美形。むろん瞳は
青い。
「The Ballade Of The Fallen」(Charlie Haden & Carla Bley)
1983,ECM
チャーリー・ヘイデンとカーラ・ブレイと言えば、リベレイション・ミ
ュージック・オーケストラ(LMO)のコンビだが、これは1983年に
ECMから出たもの。8人のホーンが加わっていて、LMOでおなじみ
のドン・チェリーやデューイ・レッドマンの名前も見える。
すべての編曲はカーラ・ブレイが行なっているようで、演奏の感
じは全く彼女のものになっている。正直なところ、彼女の音楽はと
っつきにくい。一、二度聴いただけでは、無秩序なブラスの集まり
で全然美しくないという印象を抱いてしまうものであった。ところ
が、しばらくすると無性にまた聴きたくなる魅力を持っている。旅先
で通りかかった大通りで、楽器を持った群衆が楽しそうに騒いでい
るのに出会う、その見知らぬ喧噪がまた懐かしくなるのに似てい
る。
しかし、お祭り騒ぎは、その踊り狂うにぎやかさの分だけ、故の
ない不安のようなものを孕んでしまうもの。大通りのすぐ向こうの
角まで日暮れが迫ってきているような・・・。フェデリコ・フェリーニ
の映画「82/1」のラスト、それまでの出演者が次々に集まって来
て巨大な野外セットで一列になって踊っている場面を、何故か想
起してしまう。そう、あれもパレイドであった。
街は祭日の昼下がり
パレイドの音楽が ねじれた紙テープのように届いてくる
(瀬崎 祐「六月・司祭への報告書」よ
り)
詩誌「coto」5号 (安田 有・センナヨオコ 編
集)より
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