エッセイ

文芸時評 ・ 形づくられるもの


 博覧会が好きで、愛知万博にも行ってみたいと思っているのだ が、未だ果たせないでいる。
 博覧会では、趣向をこらしたパビリオンが並び、それらが全体と して一つの世界を形づくっている。そこは外の世界からは隔離さ れたひとつの閉じられた世界であり、いつもの見なれた世界とは 全く異なる規則に支配されている空間だ。

 ある種の連作短編集もこれと同じような異次元世界に誘ってくれ る。
 一つの世界でくり広がる個々の物語が互いに関連していき、や がては壮大な一つの物語りを形成する。
 十二の短い物語からなる筒井康隆「旅のラゴス」(1986年)もそ んな連作短編集だ。
 故郷を離れたラゴスは他国を放浪して歩くのだが、この世界で は転移という瞬間移動の技術があったりする。そこにはこの物語 世界を形作る約束事がある。そのような約束事の集まりが、作者 が表現したかった世界を成立させている。数十年の後にふたたび 故郷に戻ったラゴスは、やがて死の旅に出る。それは物語の完結 がラゴスの命を要求したからに違いない。

 詩集でいえば入沢康夫の「ランゲルハンス氏の島」(1962年)。
 個々の作品にはタイトルもなく、ただ番号だけがふられた二十八 の章からなるこの詩集は、無数の断片が積み重なって、特異な島 の様子を形づくり、全体でひとつの大きな作品となっている。
 入沢が現出させたかったのは、この島に特有の約束事そのもの であっただろう。言い換えれば、それはランゲルハンス氏の島とい う構造体の存在そのものを指し示すことであったのだろう。

 一人の作家が様々な意匠の短編を書き、それらが集まって全体 では一つの世界を作り上げているものもある。
 たとえばエイミー・ベンダー「燃えるスカートの少女」(2000年)。
 ここでは、燃える手を持つ少女と氷の手を持つ少女の運命が描 かれたり、しだいに逆進化をして猿になりサンショウウオに変身し ていく恋人を見守る少女が描かれる。
 説明も付けられないような奇妙な既成事実があり、そのうえで 淡々と物語がひろげられる。世界が成り立っている約束事の意味 を、あらためてもう一度問い直すような作品が集まっている。

 このような短編集の場合は、描かれる世界に連作集ほどはっき りとした統一感がなく、描かれる世界での規則もあいまいである。
 ただ、その作者にとっては、たとえば風はいつも左手の方角から 吹いてこなくてはならなかったり、建物の階段は石造りでなくては ならなかったりと、描きだす世界には作者特有のこだわりがある。 作者の美意識と言っても良いのかもしれないが、世界をもう一度 構築し直すために作者が必要とした規則であるわけだ。

 幾つものパビリオンが集まって博覧会会場が成りたっているよう に、詩集もまた、そのような一つの世界である。
 散らばっていた個々の作品はお互いを呼び寄せて、詩集の各部 品となり、それらが集まった時にはじめて見えてくるなにかが構築 されるために、一冊の詩集は存在しはじめる。
                   「詩と思想」誌 2005年10月号





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