エッセイ

火星人の形


 火星表面に運河を思わせる線状模様が観察され、火星に高等 知能を有する生命体がいるのではないかという説が出された。一 九世紀後半のことである。火星人を捜すために、アメリカの大財 閥が天文台を建造したりもしている。
 しかし火星人はいつまでも見つからず、その存在についてはい ろいろな想像や憶測がとびかった。
 そんな誰も見たことがない火星人の形と言えば、頭が大きくて長 い足が何本か付いている蛸のお化けのようなものがもっとも有名 であろう。これは、火星人が地球に侵略して来るというHGウェル ズの小説「宇宙戦争」で描かれた火星人の形である。
 HGウェルズは、火星の重力や気候を調べ、それに合わせて合 理的な肉体を追求していったらあの形にたどり着いたという。すな わち、重力が地球より小さいので身体を支える構造は弱いはず だ、あの運河を造るほどの知能があるからには脳が大きい、つま り頭部が身体に比して大きいはずだ、空気が薄いので空気を吸 い込む部分は大きいはずだ、云々。
 つまり、あの形は火星で生活するためのもっとも合理的な形で あるというわけだ。
 荒唐無稽な話なのだが、長い年月にわたってもっとも有名な火 星人の形として伝えられてきたと言うことは、それなりに人々を説 得するものがあったのだろう。つまり、空想上のものであるにせ よ、ある種のリアリティを感じさせていたのである。

 言うまでもなく詩作品は非現実的な構築物であるが、書かれて いる内容そのものが荒唐無稽なものがある。そのなかにアレゴリ ーを意図したものがある。
 ある特定の感情や思考を作品として表出しようとした場合に、最 も適した表現方法を考える。その本質そのものを可能な限りくっき りとあらわしたいと思うわけである。一般的には当たり前のことで あっても、もしそれが本質を減弱させるようなものごとであれば、た とえ理屈が合わなくなる部分が出てきても削り取ってしまう。逆に シンボル的なアイテムが意図を強調させることができるのであれ ば、突拍子がないことでも登場させてしまう。
 このようにして、あらわしたい感情や思考に最も適した風景を造 りあげる。すると、そこに一つの架空の物語が自ずから形成され てくるわけだ。
 だから、どんなに理屈が合わないような物語であっても、どんな に突拍子であっても、その背景や舞台にはなんらかの意味があ り、意図をともなって構築されているわけだ。蛸に似た火星人の形 に到達したように、これ以外にはあり得ない合理的な物語の風景 であるわけだ。

 しかし、である。HGウェルズは本当はどこまで考えてあの火星 人の形を思いついたのだろうか。あまり余分なことは考えずにあ の形を思いついただけなのかも知れない。適当に火星の気候的 条件を考えて、少しだけ想像をたくましくしたら、ふっと、なんだ、蛸 の形でいいじゃないか、と思いついただけなのかもしれない。た だ、それは人々を納得させる何ものかを有していたと言うことにな る。HGウェルズのその感覚がすごいということになる。
 詩作品の虚構の設定も理屈などではなく、ある感情について思 いめぐらしていたら、ふっとある風景が構築されることはないだろう か。なんの理由もなく単にその風景が思い浮かぶとしたら、なんと すばらしいことであろうか。
 そして、そこに虚構でありながらのリアリティが感じられれば、そ れがもっともすごいことである。そんな、現実から浮遊したところに 構築される真実の風景を得るためには、余分なものには迷わされ ないようにしなくてはならない。自らの感性とぎしぎしと軋みながら 対話をするような心構えが必要であろう。

 そんなふうに、自分から余分なものを削り取っていったら、いつ のまにか火星人の形になっていたりして・・・。
                                            「ERA」10号より





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