エッセイ

めぐり会いのひとときは・・・ (CDを買う・連載2回目)      

 「Cityscape」(Claus Ogerman & Michel Brecker) 1982,Archive

 テナー・サックスのマイケル・ブレッカーが、作曲・編曲のクラウ ス・オガーマンと組んだこの1枚は、1982年の録音。お気に入りの レコードはすり切れたのになかなかCDが見つからなくて、インター ネットで探してやっと入手した。
 原題を直訳すれば「都市風景」か。しかし、この都市には人の姿 は全くない。CDのジャケットも、灯りだけがともった高層ビルがモノ トーンで描かれていて、アルバム全体の雰囲気を良く出している。 曲は、たとえば「ハバネラ」「夜の翼」「神々の不在と出現」と、魅力 的なタイトルが続く。特に「神々の・・・」は3部からなる長尺もの。 ストリングスをバックにマイケルの力強いサックスがゆったりと流 れる。そして、オガーマンのどこか不安を孕んだようなうねりを持っ た曲に合わせて、ビルに挟まれた路地をどこまでも彷徨うことにな る。
 いくつ角を曲がっても、どこにもたどり着けない迷路のような路 地。そして、いつのまにか、その迷路をたどり続けること自体の快 感に酔いしれている。

 「Song −The Art of the Trio : Volume Three」(Brad Mehldau)  1998.Warner Brothers

 語弊を畏れずに言えば、ブラッド・メルドーのピアノの魅力は、そ のタッチのか弱さにある。なんとも頼りない、倒れてしまいそうな風 情で旋律が紡がれていく。だから、トリオ、あるいはソロの場合 に、最も彼の魅力が発揮されるように思う。バックに回ったときに は、なんとなく他の人の陰に隠れてしまうようで、彼の存在感があ まり感じられなくなってしまう。
 このアルバムは、サブタイトルからも判るように、彼が続けてい るピアノ・トリオ・シリーズの1枚。基本的に彼のピアノは静かだ。こ こでも彼独特の、寂寥感にせかされるような細かいタッチのピアノ が随所に聞かれる。激情に捕らわれるのとは対極にあり、例えば 3曲目「Exit Music」、お前、こっそりと泣いているだろう、と言いたく なるような風情だ。。
  マイナーな曲が多いのだが、メルドーの場合は澄んだ爽やかさ が同時にあり、、決して夜の都会の片隅でと言った暗さはない。イ メージで言えば、高原の少し肌寒い風に吹かれているといったとこ ろか。

 「American Dreams」(Charlie Haden) 2002.GITANES

 出るぞ、出るぞと前評判が高かったこのCDは発売と同時に購入 した。大好きなチャーリー・ヘイデンがマイケル・ブレッカーと組ん で、全曲バラードを演奏していると聞いては買わないわけには行 かない。しかも、ピアノはブラッド・メルドーという豪華版だ。
 小難しいジャズを演奏すると思っていたチャーリー・ヘイデンが、 実はクァルテット・ウエストを率いて抒情的なジャズをしていると知 ったのはアルバム「Now Is The Hour」を聞いてだった。ここでのテ ナー・サックスはアーニー・ワッツ。あまり有名な人ではないが、ど こか湿っぽいワッツのサックスがヘイデンの作る曲の雰囲気にぴ ったりと合っていた。以来、ヘイデンの曲を演奏するワッツが聞き たくて、クァルテット・ウエストのアルバムはほとんどを集めてしま った。
 さてこのアルバムのサックスはブレッカー。以前からブレッカー のアルバムのベースはヘイデンが多く、いわば気心の知れた仲 だ。しかし、ヘイデンがやろうとしたバラードでのサックスは違うん じゃあないの、と思えてしまった。ブレッカーの演奏をヘイデンがサ ポートするのは良い、しかし、ヘイデンの曲の魅力はワッツのサッ クスの方が合っているように感じてしまう。ピアノのメルドーも、何 処にいるの?と思ってしまった。
 人が集まって演奏する難しさを思う。集まることによって足し算以 上のものを求めるのだから。もちろんこのアルバムの出来が悪い わけではなく、専門誌でも非常に高い評価を得ている。ただ、私が 個人的にブレッカーやメルドーに求めているものが、このアルバ ムではあまり発揮されていなかったということなのだろう。

 「Jazz Foa A Sunday Afternoon vol.1」(Dizzy Gillespie、et al)  1967,Solid State

 以前から探し回っていたアルバムがやっとCD発売になった。ディ ジー・ガレスピーを中心にしたジャム・セッションで、ダウンビート誌 で破格の5つ星半が付いたというもの。
  特に「恋人よ、我に帰れ」は20分近い演奏。ジャム・セッションで は時に仲間内のソロのやりとりで演奏時間が長いものがあるが、 このセッションに限ってはもっと、もっと聞かせてくれと言いたくなる ほどの白熱ぶりだ。ガレスピーも良い、ペッパー・アダムスも良い、 しかし、何と言ってもこのアルバムではレイ・ナンスのバイオリン だ。元来はトランペッターとのことだが、この演奏はどうだ。途中の ソロでは思わず掛け声がかかり、拍手が入る熱気が良く判る。む ろんチック・コリアのピアノも良いんですよ。あいつがそうくるなら、 こっちはこういってみるか、と、お互いに触発されながら盛り上が っていく。
 この演奏が行われた1967年と言えばジョン・コルトレーンが無く なった年、私が大学に入った年だ。新宿・歌舞伎町にあったジャズ 喫茶「木馬」の壁のコルトレーンの写真に黒いリボンがかけられて いた年だ。ある人は去り、ある人たちはこうして巡り会っている。一 つの同人誌に参集して作品を発表し合う意味を考えてみたりす る。

   思い起こせ めぐり会いのひとときに
   貴方が発するのは 常に 異邦の言葉だったことを
  譜面は 見知らぬ楽曲ばかりだったことを
                        (瀬崎 祐「巡回楽団の記 憶」より)

                   詩誌「coto」6号 (安田 有・センナ ヨオコ 編集)より





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